お風呂の歴史 2

前回”お風呂の歴史1”はローマ時代を見てきましたが、
2は日本のお風呂の歴史をお勉強?!したいと思います。

年末に”湯らら”に行って、3年以上ぶりに砂塩風呂に
入ってきました。 
仰向けに寝て、砂をかけてもらうと重みと熱さで血管がどくどく
巡るのを感じます。指先のほそーい毛細血管まで地が流れているのも
わかります。 普段冷えている部分が特に熱く感じられるようで、
私は足のかかととおしりが痛いくらいでした。

砂に入っている時間は10〜15分。 あとはリラックスルームで
健康茶をガブガブ飲みながらおいしいお茶菓子もいただき、のんびりと
いい汗をかきまくります。 
月に1回は行ってデトックスしたいところですね〜。

↓湯らら
http://www.kiryu-yurara.com/

前置きが長くなってしまいました。。。


群馬県もそうですが、日本は全国たくさんの温泉があります。
いつからかは定かではありませんが、日本人は温泉や
自然の岩窟を利用した蒸気浴のお風呂などに入っていたようです。

お風呂は6世紀、仏教伝来と同時期に中国から伝わったようです。
仏教では「お風呂に入ることは七病を排除し、七福が得られる」
説かれていたことから、お風呂に入ることは健康によいこと、と
理解されていました。
"浴堂” 寺院につくられる。 庶民も入ることができた
     沐浴ができる施設

湯屋”  東大寺:1282年に作られた最古の大湯屋
      約1000ℓの大釜でお湯を沸かし、
      ”鉄湯船”と呼ばれる浴槽(2000〜3000ℓ)に
      お湯を出す給湯方式が使われていた

浴槽にお湯を張り、そこに体を漬かるということがいつ始まったのか、は不明。
”お風呂”・・・釜に湯を沸かし、その蒸気を浴槽内に送り込み、
        熱い水蒸気で身体の垢を浮き上がらせて、適当な時間に室外に
        出て笹の葉などで身体を叩いたり、なでたりして垢を落とし、
        近くに用意したぬるま湯や冷水で身体を充分に洗う

”湯”・・・・・現代一般の家風呂や銭湯と同じ

”公衆浴場(銭湯):江戸時代以降 
          江戸の街を作る出稼ぎの庶民、労働者のニーズに応えるもの
     ■蒸気浴・・・小屋の中に石をたくさん置き、炊いて水を注ぎ湯気を立てる
           すのこを置いて入る
     ■戸棚風呂・・蒸し風呂の底に湯を入れ、下半身を湯に浸し、上半身を
           蒸気で蒸す お風呂と温浴を合わせたような仕組み
 
 裸ではなく、風呂用ふんどし、腹巻等をつけ、混浴であった

「混浴禁止令」
1791年「寛政の改革」老中松平定信
1842年「天保の改革」老中水野忠邦

男女別々の銭湯が登場し、幕末には江戸で600軒も

流行に敏感な江戸っ子達の社交場・娯楽の場
2階では茶菓子を食べながら、囲碁将棋を楽しむ
いろいろな湯文化が生まれた
薬湯専用の湯屋・・・今で言うハーブ風呂
糠袋・・・今の石鹸 番台で売っている 持参した鶯の糞や豆の粉を混ぜる

”湯女(ゆな)”・・浴衣を着た女性が垢すりや背中を流してくれたり
          さらには三味線片手にもてなしてくれたり、その尽くしっぷりが
          人気で当時の吉原遊郭をしのぐ勢いで繁盛していたとか
  →風紀の乱れで幕府から禁止令が出た

”三助さん”・・・身体洗いのプロフェッショナル
         「釜焚き」・「湯加減の調整」・「番台業務」の三役をこなす
浴場内で垢すり、髪すき等のサービスを提供してくれるプロの技は 
         前身サッパリ爽快になると人気沸騰!

現在は世界的に見ても、日本人の入浴頻度は高く、”風呂好き国民”を言われますが、
毎日入浴する週間が全国的になっていくのは、家庭内へガスによる瞬間湯沸かし器や
水道水の普及が進んだ高度成長期以降のこと。